雑学

寝るだけのアルバイトに応募した学生は幻覚をみる破目に!?

ヨーロッパ

赤ん坊を一切話しかけず無表情で育てたらどうなる?皇帝が実験した結果

心理学

思い立ったら即行動の根拠が判明! エメットの法則

心理学

よくある錯覚・錯視はなぜ起こる?

心理学

ホイラーの法則とは?営業やビジネスで使える5つの公式

赤ん坊を一切話しかけず無表情で育てたらどうなる?皇帝が実験した結果

人間は心の傷でも死に至りうる!孤児の赤ちゃんを対象としたおぞましい実験とは? 現代社会で大きな問題になっているのが、静か虐待といわれている、ネグレクトです。 完全な育児放棄なら、子どもが餓死病死する場合があるので、発覚することも少なくありません。 しかし、最低限の世話はするが子どもの言動に無関心となる「情緒ネグレクト」は発覚しにくい傾向にあります。 その程度で子どもに悪影響はないと思われることもありますが、これが子どもに甚大な被害を与えることを実験で証明した人物がいます。 12世紀、神聖ローマ帝国を統治したフリードリヒ2世は「教育されない赤ん坊は何語を話すようになるのか」という疑問を解決するため、家臣に命じて帝国中から赤ん坊を集めさせました。 万一の事態があってもいいよう、赤ん坊は全て孤児だったといいます。 そして養育係には「常に無表情で接すること」「赤ん坊に声をかけてはいけない」の2つを徹底させました。 実験の結果、なんと赤ん坊は言葉を話す前に全員が死亡という最悪の結果が出たのです。 赤ん坊の世話は行き届いていて、身体面では死亡する要素はなかったにもかかわらず、です。 赤ん坊達の死亡原因は長年謎とされてきましたが、近年、さまざまな実験が行われ、その原因は過度のストレスによる病気の発症だったと考えられるようになりました。 人間が心の傷でも死に至りうることが実証されたのです。 ・参照FREDERICK’S EXPERIMENT

ナチスは『捕虜に全てを自白させる』恐ろしい薬を開発していた?

ナチスの洗脳実験はいくつもある! ナチス・ドイツによる残虐な行為があった強制収容所といえば、ポーランドの「アウシュビッツ収容所」が有名ですが、それ以外の多くの場所でも、虐殺と人体実験は行われました。 その一つが「ダッハウ収容所」です。 ダッハウ収容所では、閉鎖されるまでの1年の間にヨーロッパ各地から20万人以上の人々が拘留され、そのうち4万3000人以上が死亡したといいます。 多くの収容所で行われた「毒ガス実験」はもちろん、ソ連軍捕虜を裸にして氷点下の屋外へ放置するなどした「低体温症実験」 や、 ユダヤ人を死亡させたマラリアの感染実験などを行いました。 低体温症実験では100人以上、マラリアの感染実験では約500人が死に至りました。 そんなむごい実験の中でも注目すべきなのが「自白剤」の開発実験です。 捕虜の兵士や情報要員から情報を聞き出すことを目的に、収容所の捕虜はメスカリンなどの薬剤を吸わされ、人間の意思を消すための実験体となりました。 ドイツの敗戦によってこれらの研究は中止されましたが、 その影響力は戦後も残り続けました。 これら実験データは、なんとアメリカにもたらされたのです。 アメリカはナチスの科学者を連行して軍事的に利用しました。 それが「ペーパークリップ作戦」であり、その一環として行われた洗脳実験が、 「MKウルトラ」だとされています。 アメリカは敵国だったドイツの技術力を利用し、恐ろしい実験を繰り返していたのです。 ・参照Dachau Concentration Camp

ナチスのユダヤ人虐殺の責任者は普通の人間だった?恐怖の実験結果!

ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の責任者、アドルフ・アイヒマン ユダヤ人虐殺の責任者と聞けば、それはさぞ残忍な人物のはずだと誰もが想像します。 しかし、裁判にかけられたアドルフ・アイヒマンというその男は、見るからに悪人というわけではなく、ごく普通の人間に見えたといいます。 この違和感を受け、アメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムはとある仮説を立てます。 彼はアドルフが『特殊な環境で権威者に命令され続けたことで、平気で残虐なことを行う精神状態になっていった』と推測しました。 つまり、これは条件次第で誰にでも起こり得ることなのではないかと、ミルグラムは考えたのです。 そこで彼は1962年、後に語り継がれることとなる恐ろしい実験を行いました。 ある一連の単語を電気椅子に座った人間に問い、言い当てさせる もし正解しなければ、別室に控えた他の人物に電気ショックが与えられる その様子を電気を与える人物は見ることができ、声も聞こえる 実は椅子に座っている人物は役者で、椅子に電気は通じていないが、電気を与える人物は全てが本物だと思い込んでいる その内容は以下の通りでした。 つまり『電気を与える役』の人物が本当の被験者ということです。 実験が始まり、問いに正解できなければ役者は悲痛の声を上げ、何度も停止を訴えました。 電圧がどんどん上げられて(そう思わされている)も、手を止める被験者は一人もいなかったといいます。 途中で被験者が躊躇すると、白衣を着た男が現れ、実験の続行を促します。 結局、もし本当に電気が流れていたとしたら命に関わるほど大きな電圧に達していました。 ミルグラムはこの実験を通し、『人間は考えることを止めると、どんなことでも実行し得る』と示しました。 ・参照The Milgram Shock Experiment

カンボジアで虐殺を繰り返した独裁者!遺体はタイヤと共に燃やされた!

泣く子も黙るポル・ポトとはどんな人物だったのか? カンボジアは過去に4年間で200~300万人もの国民が虐殺された歴史を持ちます。 1974年より、この虐殺を主導したのがポル・ポト派です。 ポル・ポトは、親米派との内戦に勝利した共産主義の独裁者でした。 彼はフランス留学中、スターリンの過激な共産主義思想に強く影響を受けました。 彼は政権を掌握すると、カンボジアから資本主義を狂気的なまでに排除し始めました。 教育、学問、娯楽、仏教を含む宗教までもが対象となりました。 特に知識人は資本主義の手先と見なされ虐殺され、それ以外の人々は強制的に農民にさせられ、歯向かう者も処刑されました。 帰国子女や高学歴の人々も知識人として虐殺されました。 政府には反発する声もありましたが、彼は自分が反逆者と見なした者は全て処罰の対象としました。 多くの政治家、役人、軍人が収容所で虐殺されました。 本人のみならず、その家族も処罰されたというから驚きです。 1978年、政権を奪われたポル・ポトはジャングルへ逃れて戦闘を続け、1997年に拘束されました。 反乱から約20年も経っていました。 終身刑を言いわたされた翌年、彼は心臓発作でこの世を去りましたが、遺体はタイヤなどの廃棄物と一緒に燃やされたそうです。 ・参照Pol Pot – Biography, Facts, Regime & Death – HISTORY