日本地図から消された毒ガス製造島とは!?

日本に地図から存在を消された毒ガス製造島

広島県竹原市の忠海港(ただのうみこう)から船で約15分の場所にある大久野島(おおくのじま)。

今でこそ、多くのウサギに触れ合えるリゾート地として知られますが、戦時中、この島はある理由により地図から抹消されていました。

その理由は、この島がいわば毒ガス製造工場だったからです。

1929年、旧日本陸軍は大久野島に東京第二陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)忠海製造所を設置しました。

そこでは、猛毒で皮膚がただれるイペリットをはじめ、くしゃみ性ガス、青酸ガス、催涙ガスなどの化学兵器が製造されました。

この地が工場地として選ばれたのは、 毒ガス製造の秘密を守るのに十分な広さがあり、事故が起きても被害の影響が少ないと考えられたからです。

さらに本土から距離が近いという理由もありました。

しかも島民は陸軍の化学兵器製造所とだけ聞かされていたため、 お国のためとたくさんの工員とが集まったのです。

しかし、彼らを待っていたのは、壮絶な毒ガス汚染と陸軍の見張りでした。

工場でつくっているの毒ガスであることに気がついてからも、島民たちは工場勤務を辞めることが許されませんでした。

そうして1944年に中止されるまで、15年にわたって毒ガス製造に翻弄されたのです。

この結果、大久野島は、植物もろくに育たない土壌と化し、工員たちのほとんどが後遺症に苦しむという悲惨な状態となってしまいました。

鳥の存在自体も軍事機密として、1938年から1947年まで地図から消されていました。

参考 瀬戸内海に浮かぶ広島県竹原大久野島 地図から消えていた歴史とは

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