【永久保存版】日本史スーパー年表

【平安時代】

・794年
桓武天皇(かんむてんのう)が山城国(京都府)に遷都し、平安京と名付ける

・804年
最澄空海遣唐使とともにへ渡る。

・805年
空海が恵果から灌頂(かんじょう)を受ける。
最澄と空海は唐からの帰国後、それぞれ天台宗真言宗を開く。

・812年
最澄が密教について教わるため空海に弟子入りする。

・813年
空海が最澄から理趣釈経(りしゅしゃくきょう)を貸すよう依頼するが断られる。

・816年
空海が高野山で修行を始め、金剛峯寺(こんごうぶじ)を建立する。

・821年
空海が満濃池の修復工事を行う。

・822年
最澄没

・823年
空海が東寺で真言宗の布教を始める。
経国集が完成。

・828年
空海が綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という庶民向けの教育機関を創設。

・835年
空海没

・866年
応天門の変
伴義男(とものよしお)・中庸(なかつね)らが配流される。

・884年
藤原基経(ふじわらのもとつね)が初の関白となる。

・892年
菅原道真(すがわらのみちざね)が類聚国史(るいじゅうこくし)を編む。

・890〜910年頃
竹取物語
が完成。

・894年
菅原道真により遣唐使が廃止になる。

・901年
菅原道真が大宰府に左遷される。

・900〜50年頃
伊勢物語が完成。

・905年
紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(きのとものり)らが古今和歌集を編集。

・935年頃
紀貫之が土佐日記を執筆。

・939〜41年
平将門の乱
藤原純友の乱

・966年頃
藤原道長が誕生。
清少納言が誕生。

・969年
安和(あんな)の変
源高明(みなもとのたかあきら)が左遷される。

・970年頃
紫式部が誕生。

・974〜95年
藤原通綱(ふじわらのみちつな)の母が蜻蛉日記(かげろうにっき)を作成。

・986年
藤原兼家(ふじわらのかねいえ)が一条天皇の摂政になる。

・990年
藤原道隆(ふじわらのみちたか)が関白になる。
藤原兼家
藤原定子(ふじわらのていし)が一条天皇の中宮になる。

・995年
藤原道隆
藤原道兼(ふじわらのみちかね)が関白になるも数日後没。
藤原道長内覧になる。

・996年
藤原伊司(ふじわらのこれちか)と隆家花山法皇(かざんほうおう)に反目し左遷される。

・1000年
藤原道長の娘、彰子(しょうし)が一条天皇の中宮になる。

・1001年頃
清少納言が枕草子を作成。

・1004年頃
和泉式部日記が完成。

・1008年頃
紫式部が源氏物語を作成。

・1016年頃
紫式部没

・1025年頃
清少納言没

・1058年頃
菅原孝標(すがわらのたかすえ)の娘が更級日記(さらしなにっき)を作成。

・1012年
藤原道長の娘、妍子(けんし)が三条天皇の中宮になる。

・1016年
藤原道長が後一条天皇の摂政になる。

・1018年
藤原道長の娘、威子(いし)が後一条天皇になる。

・1019年
藤原道長が出家し、息子の頼通(よりみち)が関白になる。

・1020年
藤原道長が法成寺阿弥陀堂(無量寿院)を建立する。

・1027年
藤原道長没

・1028〜31年
下総国(しもうさのくに)で平忠常(たいらのただつね)の乱

・1051年
陸奥国前九年(ぜんくねん)の役

・1052年
藤原頼通が宇治の別荘を平等院という寺にする。

・1074年
藤原頼通没

・1135年
平忠盛が海賊を退治。
平清盛従四位下(じゅうしいのげ)になる。

・1146年
平清盛が安芸守(あきのかみ)になる。

・1156年
保元の乱

・1159年
平治の乱
源義経(みなもとのよしつね)誕生。

・1160年
平清盛が正三位(しょうさんみ)になる。

・1164年
平家納経

・1166年
平清盛が内大臣になる。

・1167年
平清盛が太政大臣になるも3ヶ月で辞任。

・1168年
平清盛が出家する。

・1171年
平清盛の娘、徳子高倉天皇のきさきになる。

・1177年
大極殿などが焼失
鹿ヶ谷(ししがたに)の陰謀が発覚する。

・1178年
平清盛の娘、徳子が男児を出産(後の安徳天皇)。

・1179年
平清盛が後白河鳳凰(ごしらかわほうおう)を鳥羽殿(とばどの)に幽閉、院政を停止する。
平重盛没。

・1180年
以仁王(もちひとおう)が平氏追討の令旨を出し、源頼朝(みなもとのよりとも)と義仲が挙兵する。

・1181年
平清盛没。
東大寺の再建が開始。

・1183年
倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い

・1184年
一の谷の戦い

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