明治時代

日比谷公園は市民を監視する場所だった

日比谷公園は市民を監視するための場所だった

日比谷公園は、ライブや飲食関係のイベントなどの催しが開かれる場所です。

銀座や霞が関の近くにありながら、緑が豊かで人々の憩いの場として機能していますが、実は開園の目的は、市民を監視する場所をつくることにありました。

日比谷公園が開園した1903年は、憲法が発布されて10年以上が経ち、国民の政治参加への意欲が高まっていた時期でした。

憲法発布前は政治集会を禁じたり、新聞を取り締まったりしていましたが、さすがにこの頃には事情が変化していました。

国会議員が各地から選出され、有権者の意見を代弁するようになっていたため、正当な理由なく政治集会を禁じることまではできなくなっていたのです。

そこで政府は妥協策として、集会がしやすい広大な公園をつくり、政治集会を誘導しようとしました。

集会場所を把握することで、政府の監視の目が届きやすいようにしたのです。

ただし、政府の思惑は簡単には叶いませんでした。

1904年に開戦した日露戦争の期間中、国民に多額の税負担を求めたにも関わらず、政府は賠償金を得ることができませんでした。

これに不満を抱いた市民が日比谷公園に集まって集会を開くと熱が高まり、公官庁への焼き討ち事件へと発展したのです。

現在は穏やかな日比谷公園ですが、過去には日本史に残る大事件が起きた場所でもあったのです。

参考 日比谷公園

Tama

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