性行為を仏教にとりこんだ「真言立川流」とは!

性行為を仏教にとりこんだ真言立川流

仏教では一般的に、僧侶の性行為をタブー視すします。

しかし、過去には堂々とセックスを推奨した一
派がありました。

それが平安時代末期に興った真言立川流です。

立川流の祖とされているのは、真言宗の高僧・
仁寛(にんかん)です。

仁寛は武蔵国立川(現東京都立川市)出身の陰陽師と知己を得ると、陰陽道と真言密教の融合を図りました。

そして仁寛の死後、弟子たちが「男女の陰陽こそが物事の根本」という持論を展開し、その極意を男女和合、すなわち性行為に見出したとされます。

その修行は、淫靡極まるものであったといいます。

「曼荼羅(まんだら)の上で乱交を行い性的恍惚によって即身成仏を目指した」という伝承がそのいい例です。

また、立川流はドクロを信仰対象としましたが、 鎌倉時代に成立した受法用心集によると、より強力な呪力を求めるために精液や愛液をドクロに塗り込む儀礼を行っていたといいます。

この超世俗的な宗派に、鎌倉幕府打倒を掲げた
後醍醐天皇も傾倒したと言われ、南北朝時代には隆盛を誇りました。

しかし、世を惑わす邪教として仏教界は猛反発しました。

徹底的な弾圧を受け、江戸時代初期に一派は断絶しました。

その過程で経典も処分されたため、立川流の実像はいまだ謎のベールに包まれています。

参考 Shingon Buddhism, Japan