相撲はもともと殺し合いだった?残酷すぎる驚きのルーツ!

相撲の原型は命の奪い合いだった

日本の国技ともいわれ、神事としての性格も持っている相撲ですが、そのルーツは国技と呼ぶにはあまりにも残酷な殺し合いでした。

『日本書紀』によると、日本初の相撲が行われたのは紀元前23年頃とされます。

対戦したのは大和国(現奈良県)の當麻臓速(たいまのけはや)と出雲国(現島根県)出身の野見宿禰(のみのすくね)です。

蹴速は「その人と為り力強くして」と記されるほどの怪力の持ち主で、彼自身も「自分と互角に力比べできる者がいれば、是非手合せ願いたい」と豪語していました。

そこで、ときの垂仁天皇が勇猛で知られた野見宿禰を呼び寄せ、「天覧試合」を行わせたのです。

両者は「各足を挙げて相む」、つまりキックの応酬で戦ったとされます。

結果は野見宿禰。

ただ、それは臓速の腰骨を踏み折って殺害するという陰惨な内容です。

しかし宿禰にお咎めはなく、それどころか褒美に速の土地を与えられています。

このように、初期の相撲は「戦闘のための武術」という性格が強かったと考えられます。

その後相撲は「殴る」「蹴る」などが禁じ手とされ、武術から技芸へと洗練されていった。

ちなみに宿禰が賜った地は奈良県香芝市の良福寺界隈とされ、 そここしのおれだの名も「腰折田」であったと伝えられます。

参考 當麻蹶速と野見宿禰の天覧相撲

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