前方後円墳の前方は儀式を、後円は○○をする場所だった
ヤマト政権が広めた前方後円墳
前方後円墳は、前方の部分が儀式をする場所で、後円の部分が死者を埋葬する場所だったと考えられています。
古墳にはさまざまな種類がありますが、前方後円墳はヤマト政権の権力を象徴する古墳でした。
4世紀以降、大和地方で生まれた前方後円墳が、日本列島各地に広がっていきました。
このことはヤマト政権が支配する地域が広がっていった証拠だと考えられています。
参考 仁徳天皇陵古墳(大山古墳・大仙陵古墳)|スポット - 堺観光ガイド