聖徳太子が天皇になれなかった経緯をわかりやすく解説!
聖徳太子が天皇になれなかった経緯をわかりやすく解説!
自らの危険を感じた蘇我馬子により、崇峻天皇は暗殺されました。
天皇暗殺という前代未聞の事件の後だったこともあり、次の天皇選びは難航しました。
次期天皇の有力な候補は、聖徳太子を含め2、3人いましたが、誰がを選ばれても争いは免れない状況でした。
そこで馬子は、敏達(びだつ)天皇の妻、かつ自分の姪の炊屋姫(かしきやひめ)を次の天皇までの代理として即位させたそうです。
これが日本最初の女帝、推古天皇です。
これ以降、およそ200年の間に、6人の女性天皇が即位することになります。
中継ぎだったはずの推古天皇は長生きし、36年間も皇位につきました。
聖徳太子は天皇にはなれないまま、推古天皇よりも先に生涯を終えました。
参照 聖徳宗総本山 法隆寺 藤ノ木古墳 | 奈良県歴史文化資源データベース 近つ飛鳥博物館