原子爆弾は日本でも開発されていた?日本が加害国になっていた可能性

日本にもあった?原爆開発計画

世界唯一の被爆国

少し歴史が違っていれば、日本が加害国になっていた可能性もありました。

というのも、実は日本も太平洋戦争時には、原子爆弾開発研究を行っていたのです。

それが二号研究F研究です。

1943年、陸軍航空本部の依頼を受け、理化学研究所に所属する仁科芳雄博士を中心として二号研究は開始されることとなりました。

二号とは仁科博士の名前からとられた呼び名です。

研究の焦点となったのは、核物質であるウラン235をいかに用意するかでした。

ウラン235は天然ウランにわずか0.7%しか含まれていないため、これを分離して濃縮する方法が探求されました。

一方、海軍もまた1941年に京都帝国大学(現在の京都大学)に原爆の開発を依頼しており、1942年には京都帝大と共同でその可能性を検討しています。

これがF研究です。

二号研究とは異なる濃縮方法を採用し、研究がすすめられました。

しかし、これらの原爆開発研究は、開始当初から問題が相次ぎました。

中でももっとも深刻だった問題が、ウランの入手法です。

朝鮮半島、満洲、モンゴルなどでウランの採掘が行われましたが、その成果は芳しくありませんでした。

ナチス支配下のチェコのウラン鉱山に目をつけ、資源の提供を受ける計画が実行されかけましたが、1945年5月、ドイツは連合国側に降伏し、実現することはありませんでした。

ウランの濃縮もうまくいかず、資金は不足し研究施設は空襲被害で機能しない…こうして両計画は頓挫し、日本の原爆開発は失敗に終わったのです。

参考 中根良平元理研副理事長に聞く 歴史秘話サイクロトロンと原爆研究

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