覚醒剤が薬局で売られていた戦後の日本(ガチ)
戦後は覚醒剤が薬局で売られていた
厚生労働省の報告では、毎年1万人強が覚醒剤の所持や使用などによって検挙されています。
違法薬物であるため、所持者は厳しく処罰されることになりますが、戦争が終わった直後は事情が違いました。
覚醒剤は、町の薬局で普通に売られていた「お薬」でもあったのです。
1941年、太平洋戦争が勃発した年に、覚醒剤は「ヒロポン」の商品名で市販されました。
謳い文句は、「疲労回復」「体力亢進」などです。
現在では即アウトな文言ですが、当時は依存性や毒性が知られておらず、神経興奮作用だけが着目されていました。
実際、軍では兵士の士気高揚や軍需工場での生産性向上のためにヒロポンを配布していましたし、出撃前の特攻隊員にも、死の恐怖を紛らわせるためにヒロポンが与えられたといいます。
さらに敗戦後は、軍から流出したヒロポンが、手ごろな興奮剤として薬局に並べられ、肉体労働者などの間で広まるようになりました。
値段は1949年の時点で、注射10本入りが80円50銭、錠剤20錠入りが21円でした。
当時煙草が10本50円であったことを考えると、お手ごろ価格と言っていいでしょう。
興味本位で始める者も急増し、実に50万人以上の人々が覚醒剤中毒に陥ったとされます。
爆発的なヒロポンブームは、1951年に覚醒剤取締法が施行されるまで続くこととなりました。
参考 Japan's hiropon panic: resident non-Japanese and the 1950s meth crisis