中国に使いを送り、朝鮮半島南部で影響力を持ったヤマト政権

朝鮮半島南部に強い影響力を持ったヤマト政権

古墳時代、ヤマト政権は朝鮮半島南部に強い影響力を持つようになりました。

当時の朝鮮半島の南部には百済(ペクチェ)新羅(シルラ)加羅(カラ)と呼ばれる小国家の連合があり、北部には高句麗(コグリョ)という強国があり、勢力争いをしていました。

ヤマト政権は南部の百済や加羅と組み、高句麗と争いました。

これらの国々は、自国の立場を有利にするために中国の皇帝に使いを送り、自分たちの存在を尊重してもらおうとしました。

ヤマト政権も、倭の五王と呼ばれる5人の大王が中国南部を支配する国にたびたび使いを送りました。

こうした交流の中、戦乱から逃れるために多くの人々が朝鮮半島から日本列島に渡りました。

これらの人々は渡来人と呼ばれ、彼らは当時の日本列島に最先端の科学技術や文化をもたらし、日本の社会や文化の進歩に大きな影響を与えました。

参考 倭の五王|日本大百科全書・世界大百科事典

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