大宝律令には長さ1m、太さ1cmのムチで打つ拷問のルールが含まれた

大宝律令では拷問のルールが定められていた

701年に成立した大宝律令は、行政法や刑法が整備された日本初の法典です。

そこでは罪を自白させるための拷問も制度として明文化されました。

拷問の手段として採用されたのは、ムチ打ちです。

単に被疑者を痛めつければいいというわけではなく、細かな規則が存在しました。

まず使用される鞭は長さ3尺5寸(約106cm)、太さ3分(約1cm)、1回で行うムチ打ちの回数は200回までと決められていました。

2回目を行う場合は20日以上空けなければならないという定めもあり、被疑者に対する多少のの配慮は見られました。

虚偽の訴えによって拷問を受け、 後に濡れ衣であったことが判明した場合、訴えを起こした者がムチ打たれるという規則や、規定の回数以上を叩いた場合には、その回数分、尋問者が叩かれる罰則まであったといいます。

このように大宝律令では順法精神を求めていましたが、それはあくまで表向きで、陰では苛烈な拷問もあったと推測されています。

例えば、757年に橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)なる人物ら数人が謀反を企てた容疑で捕縛された際、鼻を削がれ舌を焼かれるなどの凄惨な拷問を受けたと伝えられています。

参考 3.日本での拷問

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