地政学的にみて日本を侵略することはとても重要だった

日本はシーパワーの島国

日本は海に面したシーパワーの国です。

シーパワーとは、海洋で大きな力を持つ国や地域のことです。

「海」という壁に囲まれたこの国は、歴史上、外国からの侵略をほとんど受けたことがありません。

海をまたいで日本を攻めようとしても、多くの食料やお金が必要となります。

なので、かつて世界中を侵略していたヨーロッパ諸国ですら日本には進出できずにいました。

また日本は温暖で作物が育ちやすい地域であるため、他国の資源を奪わなくても自国の人を養うことが出来ました。

そのため、日本からも積極的に外国に関わる必要がなかったのです。

地形が生んだ日本独自の文化

海に囲まれた地形だからこそ、日本は独自の文化を継続的に育むことができました。

インターネットがなかった昔は、他国の文化や情報を知るために船を使った交流が必要でした。

しかし、周りに海があったことや他国と関わりを持たなかったことで、 日本には外国の文化が入りづらくなっていました。

そのため、かつては侍文化があったり、 現代ではオタク文化が生まれたりと、日本独自の歴史を歩んできました。

地政学が日本という地域の重要性を暴いた?

日本はアメリカから見ればロシアや中国を監視できる中間基地にあります。

中国から見れば海に進出するのを阻む壁になっているし、 ロシアから見れば自分たちの海軍を置く港を造るのに適しているでしょう。

そのように、日本が重要な位置にあるとわかり、海外からの注目度は上がっていきました。

外国の船に不安を覚えた役人

江川英龍(えがわひでたつ)という、日本の地政学の第一人者と言われる人物がいます。

彼が生きた江戸時代の終わり頃は、外国の船が日本の近くに現れ始めた時代でした。

地方の役人だった彼は、 もし外国の船が攻めてきた際に、日本は無事に対処できるのか疑問に感じていました。

もっと軍隊を強くし、周辺の海を守らないと日本はやられると考えました。

そこで改めて軍事を見直してみると、 日本は自国を守る意識が低い上に、武器も弱く、対外国においてとても脆弱だとわかりました。

そこで江川は、軍隊を外国と同じくらいの強さにし、周辺の海を守ることに重きを置かなければならないと謳いました。

欧米列強の軍隊と同等の力をつけるため、 彼は外国を徹底的に研究し、最新の兵器や技術を開発していきました。

何度も江戸幕府に海を守る必要性を説明したり、 外国と海で戦うために大砲を置く土地を設けたりしました。

都内の「お台場」という街がそれです。

江川はまさに地政学的な視点で自国のために尽力しました。

シーパワーなのに「陸」の戦いが強い日本

日本は地政学的にも面白い進化を遂げてきました。

日本は外国から攻められることすらあまりありませんでしたが、 むしろ国内での内戦がとても多い国でした。

弥生時代に始まり、源平合戦や戦国時代を経て、明治時代の西南戦争に至るまで、実に1600年以上もの間、さまざまな時代の中で国内の人々と戦い続けていました。

本来シーパワーである日本は海軍が強くなっていくはずです。

しかし、歴史的に他国から攻められることがなかったため、国内の陸上で戦う力のほうが強くなっていったのです。

江戸時代には、外国との貿易を制限する鎖国を行いました。

なぜなら当時のヨーロッパは、最初は貿易と言いながらも、 自由な出入りを獲得したところで軍隊の力で脅し、他国を乗っとるという手口で侵略をしていたのです。

それに気づいていた日本は、苦肉の策で世界から孤立することを選び、おかげで260年間も平和な時代を過ごすことができたのです。

ただその反面、外国の文化や最新の技術が入りづらくなったことで、世界の発展からは遅れをとることになります。

黒船をきっかけに開国を決断した日本

江戸時代の終わり頃、日本に黒船が現れます。

黒船にはアメリカのマシュー・カルブレイス・ペリー提督が乗っており、アメリカと国交を結ぶように脅してきたのです。

外国の技術をほとんど取り入れて来なかった日本はアメリカの技術力と強さに驚き、これからは外国の文化も取り入れないと世界と渡り合えないと考え、鎖国をやめて世界と協調していく道を選びました。

大国の技術をたくさん取り入れたことで、日本は一気に近代化を果たしました。

これを文明開化と呼びます。

日本はランドパワー?それともシーパワー?

外国とも渡り合える力を持った日本は、アジアで一番になることを目指して世界進出を考え始めました。

明治時代になると日清戦争日露戦争で列強国に勝ったことで日本はシーパワーに変化しようとします。

しかし、これまでの強みであったランドパワーから簡単に切り替えることはできません。

そうしてランドとシーを両立するようになっていきます。

大敗からシーパワーになった日本

日中戦争や第二次世界大戦ではランドパワー
とシーパワーを両立したまま戦い、うまく力を生かすことができずに負けました。

その反省を生かしてか、戦後は着々とシーパワーに移行していきました。

現在、日本は完全にシーパワーの国として、他のシーパワー国と連携するようになっています。

参考 Japan's top defense challenge 'is joint air, land and sea power'

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