「蓑踊り」とは?踊りではなく体を藁で巻いて火をつける刑罰
島原地方には「蓑踊り」という火刑があった
徳島県の阿波踊りや岐阜県の群上踊りなど、日本には地方にちなんだ踊りが数多くあります。
これらの踊りは人々を楽しませるものですが、 島原地方(現長崎県)に存在した蓑(みの)踊りだけは別物でしょう。
蓑踊りは盆踊りのような娯楽ではなく、江戸時代初期に行われた火刑なのです。
島原地方は離島が多いこともあり、多くの隠れキリシタンが移住していました。
キリシタンの摘発に躍起になっていた島原藩主・松倉重政は彼らを捕縛し、改宗を命じましたが、信仰心の強いキリシタンは応じようとしませんでした。
そこで重政が採った手段が、先に挙げた蓑踊りでした。
受刑者は後ろ手に拘束されると、雨具の蓑を被せられて火をつけられました。
蓑は藁(わら)で出来ているため、火が付けば勢いよく燃え上がります。
キリシタンを脱ぎ捨てることもできず、火の熱さに飛び跳ね七転八倒しました。
その様子が踊っているようだと役人が揶揄したことが、呼び名の由来だと言われます。
残虐な刑罰ですが、キリシタンのみならず、年貢を納められなかった者は、女性や子どもであっても容赦なく火刑が執行されたと伝えられます。
当地では1637年に島原の乱が勃発しますが、苛烈な拷問に対する人々の怨みも乱の要因の一つであったのでしょう。
参考 江戸時代キリシタン弾圧におけるあまりに過酷な拷問・刑罰の数々