井伊直虎は女性ではなく男性だった?
女城主・井伊直虎は男だった?
NHK大河ドラマで名の広まった女城主「井伊直虎」ですが、直虎は男性だったとする説が現在は有力です。
直虎に関する通説は、遠江国(現静岡県)にあります。
龍潭寺(りょうたんじ)の祖山住職が執筆した『井伊家伝記』 と、江戸幕府が各大名の記録を集めて完成させた『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』に基づいています。
これらには、井伊直盛の娘が「次郎法師」と名乗り出家したこと、父と婚約者の死後に女城主になったこととあります。
また、別の史料から井伊直虎が 「次郎直虎」を名乗っていたこともわかっています。
つまり「次郎」という名前が共通しているから次郎法師=井伊直虎と考えられてきたのです。
しかし、この次郎法師が 「井伊直虎」と名乗ったことを示す確かな史料はありません。
直虎を女城主だと記した『井伊家家伝』は信頼性が高いとはいえない記録ですが、史料が少ないために、詳しいことがわかっていなかったのです。
直虎男説が注目されたのは2016年のことです。
井伊美術館の井伊達夫館長が、井伊家家老によって1735年にまとめられたという写本を紹介したことによります。
これには、跡取りがいなくなった井伊家の領地を、今川家が関口氏経(せきぐちうじつね)の息子に与えたと記されていました。
氏経の息子が名乗った新名は「井伊次郎」で、若き日の直虎の名が次郎法師だったことから、この次郎こそが直虎だったと井伊館長は指摘します。
さらに2017年には、井伊館長は井伊家重臣の「河手家系譜」が、 井伊直虎を跡継ぎ、次郎法師を直盛の娘と扱っていたことを紹介しました。
未だに議論は尽きませんが、謎に包まれてきた直虎という存在のベールが、近い将来はがされるかもしれません。
参考 大河ドラマ「おんな城主 直虎」