徳川家康の墓は大阪にある?
大坂夏の陣で死んだ徳川家康の墓は大阪にある
江戸幕府初代将軍の徳川家康は、その遺言に従って静岡市の久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)に葬られました。
後に日光東照宮に移されたとされますが、発掘調査が行われていないため、正確なところは不明です。
いずれにせよ、東照宮に祀られていると考えるのが一般的ですが、実は大阪にも「家康の墓」があると伝える寺があります。
しかもこの家康は、1615年の大坂夏の陣で討ち死にしたといいます。
その寺が、 大阪府堺市にある「南宗寺(なんじゅうじ)」です。
南宗寺の境内には、「東照宮徳川家康墓」と刻まれた墓石が立っています。
寺の来歴を記した『南宗寺史』は、家康が大坂夏の陣で敗れてかごに乗って逃走する途中、敵将に槍でかごを突かれ、堺に落ち延びる頃には事切れていたと伝えています。
この遺骸が寺内にある開山堂の縁の下に隠され、のちに改葬されたというのです。
現在の墓は1967年にこの伝説に沿って建てられたものです。
大坂夏の陣の直前に堺は豊臣方に焼き払われ、南宗寺も焼失していたため、普通に考えれば伝説の信憑性は低いですが、それでも家康伝説の影響は無視できません。
真実は不明ですが、2代将軍秀忠と3代将軍家光が1ヶ月の間に続けて南宗寺を訪れた記録が残っている他、開山堂跡にある無名塔の銘文は、幕末の幕臣・山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)筆と伝わっており、「この無名塔を家康の墓と認める」という内容が記されています。
また、こうした伝説の影響からか、太平洋戦争時に焼失したものの、境内には東照宮が建てられていました。
伝説に真実が含まれていたら歴史を覆すことになりますが、果たしてどうなのでしょうか。
参考 久能山東照宮|静岡