ち○こ切断の刑が存在した御成敗式目!あの司馬遷も受けた?
日本でも男性器を切除する宮刑が行われていた
古来、中国では宮刑と呼ばれる刑罰がありました。
字面からはイメージがつきにくいですが、男性器を切除する去勢刑のことです。
「宮」の字が当てられたのは、執行後に罪人を宮廷などで強制労働させたことに由来するといいます。
宮刑は執行時の激痛もさることながら、その後も傷口から悪臭を発したり、陰部が尿でただれたりするなど、相当な苦痛が待ち受けていたようです。
また、男でも女でもない存在に貶められることから精神的な屈辱も強く、死刑に匹敵する罰と考えられていました。
のちに去勢者が皇帝に仕えて権勢を誇るようになったため、自分から進んで去勢する者もいましたが、当初は死亡率が高く、危険を伴う刑罰でした。
宮刑を受けた人物としては、前漢時代に史記を記した司馬遷(しばせん)が有名です。
敗戦の将をかばったことで、皇帝の逆鱗に触れ刑を言い渡されたといいます。
ただ宮刑は中国独自の刑ではなく、日本でも行われていました。
1207年、浄土宗の開祖・法然の弟子2人が後鳥羽上皇の女官と密通した容疑、いわゆる女犯の罪で捕縛され、陰茎を切除されたとする記録があります。
また、 1232年に制定された日本最初の武家法 「御成敗式目」にも宮刑が公式な刑罰として定められています。
その後も私刑や拷問の手段として宮刑は用いられましたが、中には羅切(らせつ)と言い、修行僧などが淫欲を断つために、自ら男根を切除するケースもあったそうです。
参考 実は恐ろしい「御成敗式目」、文書偽装で顔に焼き印・不倫は領地を半分没収 ...