
死者数千人!ポーランドの住民虐殺事件とは
ドイツとポーランドの報復合戦!ビドゴシチ住民虐殺事件とは
かつて隣国の国民が、数千人にも及ぶ殺戮を応酬しました。
そんな狂気の事件がビドゴシチ住民虐殺事件です。
ブロンベルク血の日曜日事件とも呼ばれます。
きっかけは、1939年9月3日、ポーランド軍の2個師団がビドゴシチ市 (ドイツ名ブロンベルク)を通過する際に起きました。
ドイツ系ポーランド人過激派が銃撃を開始するとポーランド兵が応戦し、約500人が犠牲となったのです。
しかもその後、ゲリラ活動などに加担していると疑われる家々の捜索でドイツ系住民がリンチを加えられました。
殺害された数は、1000~2000人という説もあります。
その6日後、今度はドイツ兵による報復がありました。
最初に銃殺されたのは12~16歳のボーイスカウトのメンバーでした。
その後、約3000人のポーランド系住民が無差別に殺害されたといいます。
なぜ事件はここまで拡大したのでしょうか。
ビドゴシチはドイツ本土と飛び地である東プロイセンに挟まれたポーランド回廊にあり、ドイツ系とポーランド系の住民が混在していました。
1930年代に入り、ポーランドとドイツの関係が悪化すると、ドイツ系住民は差別意識を持って自衛団を結成し、反ポーランド活動も起き始めます。
そして最初の事件が起きる2日前にドイツがポーランドに侵攻したことをきっかけに、ドイツ系過激派が攻撃を仕掛けたと考えられています。
参考 German troops approach Bydgoszcz - Holocaust Encyclopedia