坂本龍馬は西郷隆盛のパシリだった?
坂本龍馬は西郷隆盛のパシリだった
坂本龍馬は「大政奉還」に影響を与えた「船中八策」の基礎をつくり、薩長同盟の仲介役として奔走したといわれます。
しかし、これらは龍馬の功績ではなく、本来は西郷隆盛の「パシリ」でしかなかったという説があります。
そもそも、龍馬が船中八策を作ったという証拠はありません。
それどころか原本も写本すら見つかっていないため、後世の創作ではないかと指摘されているのです。
薩長同盟に関しても、交渉の主役は龍馬ではなく、あくまで薩長の藩士たちでした。
現在では、龍馬は数ある調整役のひとりに過ぎなかったと考えられています。
むしろ、同じ土佐藩出身の中岡慎太郎のほうが関与が強かったと考えられているぐらいです。
西郷隆盛の命令を受けて重要会議の段取りや日程を調整したり、武器商人のトーマス・グラバーを通じて大量の武器弾薬を薩長軍に用意したりと、主役というよりサポート役であることが多かったようです。
そのほかにも脚色された面も多々あることから、坂本龍馬は通説のような偉人ではないとするのが現在の主な見方です。
ただ、表立った行動はなかったとはいえ、裏方としての龍馬の役割は決して小さいものではありませんでした。
そのため、近江屋での暗殺事件は用済みとなった龍馬を薩摩藩が消したとの説も唱えられています。
参考 西郷隆盛と坂本龍馬