卑弥呼の時代から聖徳太子の記録のない空白の時代

266年、倭の女王が西晋につかいを送ったという記事を最後に、倭に関する記録は約150年ものあいだ中国の歴史書から姿を消します。

次に中国の歴史書に登場するのが倭の五王と呼ばれる讃(賛)・珍(弥)・済・興・武の5人の王です。

5世紀前半から末にかけて、この5人の倭王が、中国の南部を支配する宋(宋の滅亡後は梁)に頻繁につかいを送ったと書かれています。

倭の五王は、それぞれ5世紀に実在した王様のことだと考えられますが、中国側の記録と日本側の天皇の系図が一致しないため、どの天皇にあたるのかに関して定説はありません。

ただし、5番目の武は、時代が一致するなどの理由から雄略天皇であることはかなり確実だと考えられています。

武は朝鮮半島での権利と、高句麗との戦争への援助を求めて宋につかいを送りました。

しかし、これを最後に、中国との国交は、約100年後の聖徳太子の時代まで途絶えてしまいます。

参考 高麗博物館

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