雄略天皇ことワカタケル大王は悪徳天皇だった?
埼玉県行田市にある稲荷山古墳で発見された鉄剣にX線を当てたところ、裏表合わせて115字の銘文が書かれているのが発見されました。
その銘文の中に見られる凄加多支鹵大王という文字、これは「ワカタケル大王」と読むことができ、日本書紀でオオハツセノワカタケルノミコトと名前が伝わる雄略天皇のことだと考えられています。
また、熊本県和水町の江田船山古墳から発見された大刀に書かれた銘文の中にも「ワカタケル大王」と思われる文字があります。
書かれている銘文によると、この鉄剣と大刀はどちらも、ワカタケル大王に仕えた人物の持ち物だったようです。
ワカタケル大王(雄略天皇)は、5世紀後半に活躍したヤマト政権の大王です。
古事記や日本書紀では、兄弟を殺して大王になり、その後も数多くの家臣らを死刑にするなど、かなり気性の激しい人物として描かれています。
あまりの過激さに、日本書紀では「大悪天皇」とまで書かれている人物なのです。
参考 江田船山古墳 / 観光情報TOP / 和水町