聖徳太子は何をした人?物部氏を滅ぼす戦争にも参加していた!

聖徳太子は何をした人?物部氏を滅ぼす戦争にも参加していた!

538年に仏教が伝わってからというもの、日本ではそれを受け入れるべきかどうか、大きな波紋を呼びました。

そこで仏教受け入れに積極的だったのが、新興勢力の蘇我氏です。

一方、反対派として代表的だったのが、日本古来の神を祀る一族、物部(もののべ)氏でした。

これは単に仏教を受け入れるかどうかの問題だけでなく、どちらの豪族が上かを巡る争いでもありました。

そして587年、蘇我氏が物部氏を滅ぼしました。

このとき若干14歳だった聖徳太子は蘇我氏側で戦いに参加し、活躍したといわれます。

物部氏なき後、蘇我馬子は思い通りに政治を動かすようになりました。

蘇我氏の推薦で即位した崇峻天皇でしたが、いつしか馬子を邪魔に思うようになりました。

危険を感じた馬子は先手を打ち、崇峻天皇を暗殺してしまいました。

参照
聖徳宗総本山 法隆寺
藤ノ木古墳 | 奈良県歴史文化資源データベース
近つ飛鳥博物館

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