小野妹子(おののいもこ)とは何をした人?わかりやすく1分で解説!

小野妹子(おののいもこ)とは何をした人?わかりやすく1分で解説!

隋(ずい)に渡った小野妹子(おののいもこ)は、翌年、隋からの使者である裴世清(はいせいせい)らと共に帰国しました。

難波(現在の大阪)の港で、飾りたてられた30隻の船で彼らは出迎えられ、新築の館に裴世清らは泊まりました。

そして妹子は、推古天皇に『隋からの返書を百済(ペクチェ)で盗まれた』と報告しました。

それを聞いた臣下たちは怒り、妹子を島流しの刑にしようとしましたが、推古天皇のフォローで罪を免れました。

実は返書の内容が倭国(日本)を見下したものだったため、妹子は盗まれたと嘘をついたという説も存在します。

妹子は冠位十二階の第五階でしたが、最終的には最高位の大徳まで出世したと言われています。

参照
聖徳宗総本山 法隆寺
藤ノ木古墳 | 奈良県歴史文化資源データベース
近つ飛鳥博物館

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