聖徳太子は実在した?その証拠とは?
聖徳太子が実在した?その証拠とは?
有名な聖徳太子の肖像画は、もともと奈良の法隆寺に所蔵されていたものです。
しかし、この肖像が本人を描いたという証拠はありません。
なぜなら、画中に本人の名前は書いてありませんし、それが彼の肖像だというのもお寺の伝承に過ぎないからです。
また、あの画は彼の没後100年以上経ってから描かれたものだと推定されています。
もし本物だったとしても、画家が想像で描いたものに過ぎず、本人と似ている可能性は低いでしょう。
そして聖徳太子自体が実在しなかったという説を聞いたことはありませんか?
そもそも聖徳太子は生前、その名で呼ばれていませんでした。
聖徳という名が初めて登場したのは彼の没後100年近くに登場した日本書紀などの記録によるもので、生前は主に厩戸王(うまやとおう)と呼ばれていました。
聖徳太子には数々の伝説があります。
- 推古天皇の皇太子になった
- 摂政として十七条の憲法や冠位十二階を定めた
- 遣隋使を派遣した
しかし、上記もすべて 日本書紀などの朝廷側の記録によるものです。
実際は推古天皇の時代に皇太子制度は確立していませんでした。
また、聖徳太子が摂政となって天皇の代わりに政治を行ったことに異を唱える研究者も多くいます。
つまり、厩戸という聖徳太子のモデルは実在したにせよ、彼は有力な皇族の一人に過ぎず、政治を主導していたわけではなかったという説が、有力になりつつあります。
そもそも聖徳太子は朝廷の実力者が政治的な事情から日本書紀の中で創作した架空の人物に過ぎないとする人さえいます。
参照
聖徳宗総本山 法隆寺
藤ノ木古墳 | 奈良県歴史文化資源データベース
近つ飛鳥博物館