
7日間かけて少しずつ通行人に首を切断された杉谷善住坊
織田信長も行った残虐刑
ノコギリ挽き戦国期の日本では数々の処刑法が考案されましたが、中でも『かかる苛刑は前代未聞なり』と記されるほど残虐な拷問がノコギリ挽きでしょう。
文字通り、罪人の身体をノコギリで挽く刑罰です。
一太刀のもとに絶命できる斬首刑と違い、 ノコギリには挽くという過程があるため、そのぶん死に至るまでの時間が長くなります。
この刑が際立って残酷と言われる理由がそれです。
そして、この残虐刑をより非道な形で行ったのが、あの織田信長と言われています。
餌食となったのは、杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう)なる忍者です。
鉄砲の名手として知られた善住坊は、1570年に火縄銃で信長を狙撃します。
理由は諸説ありますが、信長に近江国(現滋賀県) を追われた六角氏からの依頼ともいわれていす。
しかし狙いは外れ、失敗に終わりました。
捕縛された善住坊は、まず首だけを出した状態で地中に埋められました。
そして信長は、通行人に竹のノコギリで善住坊の首を挽くよう命じたのです。
わざわざ切れ味の悪い竹で挽かせたのは、少しでも長く苦痛を与えるためでした。
信長の目論見通り、善住坊は死ぬまでに7日も要し、その間この世の地獄を味わう羽目になりました。
このノコギリ挽きは江戸時代でも継続され、主殺しの罪などの際に適用されたといいます。
参考 織田信長を火縄銃で狙撃した謎多き男「杉谷善住坊」とは?狙撃の理由や ...