イランの親米の王様がアメリカ文化を取り入れた白色革命

黒海に乗りだしたロシア

トルコはロシアと黒海という小さな海を隔てたところにある国です。

2014年、ロシアがウクライナにあるクリミア半島を自分のものにしてしまいました。

これをクリミア併合も呼び、これにより黒海に持っていた黒海艦隊を自由に使うことができるようになりました。

そこで黒海の向こうにあるトルコが重要になったのです。

トルコはロシアが地中海に出るためのルートを監視できる国で、さらにアメリカの中東でのライバルであるイランとも隣り合うというとても重要な地域に位置しています。

ロシアはあの手この手でトルコと仲良くなろうとしています。

トルコはロシアがつくったミサイルを配備するようになったり、NATOに在籍しながらロシアや中国が中心となっているSCO(上海協力機構)に参加したりしています。

そうしてトルコの警戒が緩んだことで、 NATOのロシア包囲網の足を引っ張る状態が芽生えてきました。

反米の国、イラン

中東にはイランというアメリカと仲の悪い国があります。

もともとアメリカは、 第二次世界大戦以降、 中東にもたくさんの基地を置いていました。

その主な目的はライバルだったソ連(現ロシア)が中東に進出するのを防ぐことと、 中東に眠っている石油やガスのエネルギーを自分のものにすることでした。

そんなアメリカにイランは不満を募らせていきました。

イランのアメリカ好きな王様がしたこと

もともとイランにはアメリカのことが大好きなモハンマド・レザー・パフラヴィーという国王がいました。

アメリカはその王様を利用し、イランでとれる大量の石油を手に入れたり、ソ連の動きを封じ込めていきました。

それだけでなく、イランの持つ独自の文化を撤廃し、アメリカのような国に変えていこうという白色革命を起こしました。

この行動にイラン国民は激怒し、法学者だったルーホッラー・ホメイニーの主導のもとイラン革命は起こり、王政の廃止にまで発展しました。

さらにアメリカをイランから追い出そうとする運動も活発になり、イランとアメリカの関係は劇的に悪くなっていきました。

イランがアメリカを嫌うのは当然と言えば当然かも知れません。

イランを孤立させて動けなくする作戦

イランと仲が悪くなった後も、中東は自分たちのものにしておきたいアメリカは、イランの周辺国を味方につけ、 イラン包囲網をつくりました。

サウジアラビア、オマーン、カタール、UAE(アラブ首長国連邦)、イラク、イスラエル、アフガニスタンなどです。

世界地図で見ると、これらの国々がイランを取り囲むように位置していることがわかります。

こうすることでイランに身動きとれなくさせるためです。

またアメリカはイランに経済制裁を行ったため、イランは経済的にも困っています。

エネルギー問題の解決とライバル国への警戒

2000年代になると、 アメリカでシェール革命が起こり、アメリカはそれほど中東の石油に頼らなくてもよくなりました。

エネルギー問題が解決されたことで、中東に対する関心が低くなった上、アフガニスタンにいた米軍が撤退したことも重なりました。

それをチャンスとばかりに、中国とロシアがイランに接近を始めました。

本来、アメリカは中東から手を引きたいと考えていますが、中国やロシアの動きを警戒するあまり、中東に居続けざるを得ないのです。

参考 The U.S. Shale Revolution

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