全ての寺が弾圧により壊滅させられた二つの村とは

弾圧されて寺がなくなった村がある

葬儀や法事、信仰の場として、寺は日本人にとって身近な存在です。

しかし、政治の思わぬ影響で寺がなくなった村もあります。

岐阜県東白川村と奈良県十津川村です。

きっかけは、明治時代初期にまで遡ります。

諸外国と交流する中、新政府は欧米列強がキリスト教を下地に国民の意識をまとめていたことを知りました。

そこで、キリスト教に代わって神道によって国民の意識を統一することが検討されましたが、当時の神道は仏教と一体化しており、祭祀も教義も天皇と関係がないものが少なくありませんでした。

そうした仏教の影響を神道からとり除くために「神仏分離令」が出されましたが、これをきっかけに、各地で寺院への攻撃が起こったのです。

実は幕末から、小規模な廃仏運動は諸藩で起きていました。

金銭的な負担を強いる僧侶や寺への反発が、各地で噴出していたのです。

神仏分離令は必ずしも仏教の排斥が目的ではありませんでしたが、

布告を過大に解釈した民衆や諸藩は、寺院へ弾圧を加え始めました。

岐阜県東白川村では、藩主の指導で仏像・仏具が根こそぎ破壊され、1870年秋までに15ヶ所の寺院全てが強制廃寺となりました。

十津川郷(現十津川村)では51もの寺が壊滅し、そのまま両村には寺院もない状態が今も続いています。

参考 十津川の「歴史」 | 村について

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