ルーマニア革命はサッカーワールドカップが発端?

ルーマニア革命はサッカーワールドカップが発端

1989年、民主化運動「東欧革命」の中で、武力によって国家体制の変革を迎えた国があります。

それがルーマニアです。

革命勢力と軍・警察の銃撃戦で多くの血が流れ、1000人以上が命を落としたものの、国家元首は処刑され、新体制が樹立されました。

この騒動のきっかけの一つが、実はサッカーワールドカップの祝勝デモだったのです。

同年11月、首都ブカレストで行われたワールドカップ予選を勝ち抜き、ルーマニアは20年ぶりに本大会出場権を獲得しました。

各地で祝勝デモが行なわれ、大都市ティミショアラでも、 盛大な祝勝デモが行われていました。

しかしこの祝勝デモが、気づけば反政府デモに発展していました。

勝利にわく一部の市民は感情が高まり、独裁的な政権への不満が爆発したのです。

東欧諸国で次々と革命が起きていたことにも触発され、国内で同様のデモが広がっていきました。

この混乱を収めるため、チャウシェスクはブカレストの宮殿前広場で演説を繰り広げようとしましたが、「チャウシェスクは独裁者だ!」の怒号が起こり広場はパニック状態になりました。

ルーマニア革命で政権を追われ狼狽したチャウシェスクはヘリコプターで脱出、その間、ブカレストでは血みどろの市街戦が繰り広げられ、約1週間の間に約1000人が死亡しました。

やがて、12月23日にチャウシェスクは逮捕され、軍事法廷で銃殺刑が決まり即時執行されました。

その様子はビデオ撮影され、日本を含む西側諸国でテレビ放映されています。

参考 Nicolae Ceausescu | Biography, Death, & Facts

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