マルコ・ポーロの東方見聞録はでっち上げ?

東方見聞録の内容は実はチート?

中東から中国にわたる広大な地域について記された東方見聞録は、15世紀から17世紀の大航海時代に多くの探検家に影響を与えました。

著者とされるのは、イタリア・ベネチアの商人だったマルコ・ポーロです。

日本を「黄金の国ジパング」と紹介したことでも知られています。

後世に与えた影響は大きいが、実は内容には誤りや誇張が多く、マルコ・ポーロが中国に行ったかすら疑問視する意見もあるのです。

そもそも東方見聞録は、マルコ・ポーロによる著作ではありません。

マルコ・ポーロの話を、職業文士ルスティケッロ・ダ・ピーサがまとめたものです。

戦争に参加して敵国の捕虜になったマルコ・ポーロは、同じ牢獄に収監されていたピーサと意気投合し、自身の体験を語って本にすることにしました。

この際、ピーサが聞いた逸話なども掲載されたことで、根拠の薄い記述も増えることになったのです。

しかも中国に関する記述では、マルコポーロは元王朝に仕え、中国全土を自由に移動できる通行証を賜り、知事にまで就任したとされますが、 元の記録に彼の名前は一切登場しません。

纏足や箸など、当時の中国文化を紹介する記録も見当たりません。

こうした不自然さが散見されることから、マルコ・ポーロが中国に行ったことを疑問視する研究者が、少なからずいるのです。

参考 Marco Polo | Biography, Accomplishments, Facts, Travels, & ...

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