ボウリングの壮絶な歴史!ニューヨークで禁止されていたことも?
ボウリングのピンが「10本」になった知られざる歴史
球体を転がし、離れた地点のどこかに当てたり、立てた棒を倒すという遊びは、人類史上もっとも古いゲームの形かもしれません。
紀元前5200年頃のエジプトの遺跡からは、すでに現代のボウリング用具に近い大理石製のピンとボールが出土しています。
いつしかその球転がしはヨーロッパに伝わり、占いや信仰の道具としても使われるようになります。
しかし、やがてゲーム性のほうに興味が集まるようになり、この球転がしは屋外スポーツとして発展してきた歴史を持ちます。
このスポーツにルール性を持たせ、初めてゲームとして成立させたのは、ドイツの宗教改革者マルティン・ルターといわれています。
ルターは、各地ごとにローカルルールで楽しまれていた球転がしに『9本のピンをダイヤ形に並べて倒す』という統一ルールを考案しました。
ナイン・ピンズと呼ばれることになったこのゲームは、やがてヨーロッパ中に広まっていきます。
ナイン・ピンズは、やがて新大陸に移民したオランダ人によってアメリカにも持ち込まれ、大流行をみます。
ただ、アメリカでは単なるスポーツとしてだけでなく、金を賭けるゲームとして楽しむ人たちも現れました。
あまりに過熱したギャンブル性により、やがてゲームそのものが取り締まりの対象となります。
1841年にニューヨーク州が禁止令を出したのを皮切りに、各州で次々に禁止されていきました。
禁止されると余計に続けたくなるというのが人間心理ですが、当時のアメリカ人は別の抜け道を見つけました。
9本のピンが禁止なら、10本にすればいいじゃないかと、ピンを1本増やして正三角形に並べるというテン・ピンズを考案したのです。
禁止されてもやめられなかった人たちの情熱が編み出したこのテン・ピンズこそが、現代のボウリングに直接繋がっているのです。
参考 History of bowling