中国警戒のロシア、日本との友好がカギと考えたが
9世紀にノルマン人が建国したノヴゴロド
9世紀、北欧からきたノルマン人が現在のロシアがある地域を征服し、ノヴゴロドという国を建国しました。
これがこの地域に存在した最初の国家です。
そこから多くの国を征服したり征服されたりしながら開拓していき、18世紀にピョートル1世が国のトップとしてロシア帝国を建国しました。
順調に国を大きくしていったロシア帝国でしたが、1904年の日露戦争や1914年から始まる第一次世界大戦と、度重なる戦争で国内はボロボロになりました。
そんなロシアに我慢できなくなった民衆が立ち上がり、ロシア皇帝を倒すためにソビエトという組織をつくりました。
そして1917年、ついにロシア皇帝が倒されてしまうロシア革命が起きました。
世界初の社会主義国家、ソビエト連邦
ロシアの皇帝が倒された後、ロシアは革命で国と戦った組織の名前からソビエト連邦(ソ連)になりました。
ソ連は世界で初めての、みんなで選んだ政治家を中心に、みんなで働き、みんなで平等に分け合うという考え方をする社会主義の国になりました。
周辺国を取り込み巨大化したソ連
ロシアがソビエト連邦となってからはさらに、 周辺の国を取りこんで大きくなっていきました。
しかしその後、ソ連では独裁政治が行われ、国民を無理に働かせてそのお金を没収したりと、無茶なことをしていました。
そのおかげで、ソ連の経済や軍隊はとても強くなっていきました。
そして第二次世界大戦が終わると、今度は東ヨーロッパの国を手下のように味方につけ、さらにソ連は大きくなりました。
対立する2大国の冷戦
ますます強くなるソ連を見て危険だと思ったアメリカは、これ以上大きくなる前にソ連の動きを止めようと考えました。
ソ連も邪魔されまいと立ち向かい、さまざまなところで対立しました。
どちらが強い兵器を開発できるかで競争したり、両国が他国に武器を支援して代理戦争をさせたりと、アメリカとソ連は、直接の戦い以外で争いました。
これが冷戦と呼ばれる戦いで、それは44年間もの間続きました。
あまりにも長く続いたせいで、ソ連はいつしか貧乏になっていました。
ソ連の力が弱まると、次々にソ連から国が独立してしまい、1991年、ついにソビエト連邦は崩壊し、現在のロシアに変わりました。
そしてロシアの2代目大統領ウラジミール・プーチンが経済を立て直し、再び強国として復活してきました。
険悪だったり良好だったりする中国との仲
ロシアと中国の仲はかつてとても険悪でした。
1960年代、ロシアがまだソ連の頃、中国との国境沿いにあるダマンスキー島(珍宝島)の領有権を巡って戦争していました。
しかし昨今は両国の仲はとても良好になっています。
大きな理由としては、アメリカがお互いにとってライバルだったからです。
共通のライバルがいたことで団結するようになったのです。
しかし、大国同士、お互いを警戒し合っているのは変わりません。
日本を抱き込むことで中国に対抗する?
巨大化する中国を恐れているのはアメリカだけでなくロシアも同じです。
ロシアから見ても、経済でも人口でも圧倒的な差をつけられた中国は、非常に危険な存在です。
さらにアメリカと違い、ロシアは中国のすぐ近くに位置しています。
そこでロシアは、同じく中国をライバルと考えている日本と協力する作戦を考えています。
ロシアと日本が仲良くなれば地理的に中国の背後を押さえることになり、中国が海に進出するのを止めることも出来ます。
しかし、ロシアと日本には北方領土の問題がありますし、日本はアメリカとの関係も考えなければなりません。
そんな中、2022年にウクライナ侵攻が起こり、計画は停止せざるを得なくなりました。
参考 The Russia Factor in China-Japan Relations