時間は流れていない?わかりやすい相対性理論と量子論
時間は流れていない
物理学における「時間」について、わかってきたことがあります。
私たちの身の回りのことを説明するにはニュートン力学を用いるのが一般的ですが、宇宙規模といったマクロな世界や光速に近いような超高速で動いているもの、原子や素粒子といったミクロな世界になると話は違ってきます。
そこで登場したのが相対性理論と量子論という2つの理論です。
これらによってわかってきた時間の性質があります。
ニュートン力学においては、誰にとっても同じ 「現在」が歴然と存在しました。
ところが、相対性理論によって現在の位置づけは少し変わりました。
ある人にとっての現在が、別の人にとっても現在とは限らないことがわかってきたのです。
ただし、ある人にとっての「現在」という時刻は確かにあり、それが少しずつ未来に向かってずれていくという事実は他の人と同じです。
相対性理論によってわかった時間の性質は、動いているものの時間は遅く進む(特殊相対性理論)、巨大な物体の近くにいると重力が時空間をゆがませて時間が遅く進む(一般相対性理論)ことです。
時間や)は、観測者によって『相対的である』ということです。
例えば、オリオン座の一等星であるベテルギウスという星が超新星爆発を起こすのではないか、と注日されていたことがあります。
超新星爆発とは、星が一生を終えるときに起こす巨大な爆発のことです。
ベテルギウスは地球から650光年ほど先にある星なので、現在、すでに爆発しているかも知れない、とも言われていました。
地球上で止まっている私たちが見ている姿は、650年前の姿だからです。
しかし、高速で動いている人がいたら、650年前ではなく500年前の姿かも知れませんし、300年前の姿かも知れません。
時間が相対的なものであるという考えは受け入れ難いかも知れませんが、ここで「色」について考えてみましょう。
例えば、赤色のものを見たときに『それが赤色だ』とわかったとしても、他の人も自分が思うような赤色だと認識しているとは限りません。
言葉で赤色かどうかを確認し合うことは出来ても、それが全く同じ色かどうかは確かめようがないのです。
時間もそれと同じで、自分は時間を感じているものの、他の人も自分と同じように感じているかどうかは確かめようがありません。
さらに相対性理論によって『時間は誰にとっても完全に同じではない』と証明されています。
一方、量子論が教えてくれる時間について考えてみましょう。
ミクロな世界では、人間が観測することで時間が進むような側面があります。
例えば、電子の位置を観測すると、電子は観測する前には波のようにふるまい、観測した瞬間に粒として見つかることがわかります。
見ていないから電子の位置がわからないのではなく、見ていないときには起こり得る状態が重なっており、ぼんやりと存在しています。
それが、見た瞬間にひとつに決まるのです。
つまり、観測者が『見たこと』によって過去と未来が変化します。
通常、私たちは物は連続的に動くものだと思っていますが、量子論では、人間が関与することで物の状態が急激に変化します。
これを量子飛躍と呼び、一旦これが起こると元には戻れません。
一方、ニュートン力学でも相対性理論でも、時間は未来に進めるだけでなく、過去に戻す動きも理論上は可能でした。
かつてフランスの物理学者のピエール=シモン・ラプラスは『ある瞬間の全ての原子の位置と運動量を知り得る存在があると仮定すると、物理法則に従ってその後の状態をすべて計算し、未来を完全に予測することが出来る』と述べました。
逆に言えば、未来のことがわかれば過去のこともわかるということで、これは時間の可逆性を意味します。
しかし、確率として存在していたものが急に現実になる量子論の世界では、現実を確率に戻すことは出来ません。
このようにニュートン力学の後、相対性理論と量子論が登場したことで 『誰にとっても共通の時間はない』 『人が関与することで時間は飛躍する』という時間の性質がわかってきました。
しかし『時間とは何か』が証明されたわけではありません。
相変わらず『時間が流れる』という概念は、現在、どの物理学の理論にも存在していません。
参考 We feel time passing, but nothing in physics suggests it is a fundamental ...